2011年12月9日金曜日

警護という環境

平和とは単に戦いが無くなる事ではなく、正義の実現である。
真の平和を築くには「真の強さ」と「正しき心」が必要である。
そしてこれらを兼備えているのが日本精神の真髄である武士道であり、この偉業を成し得るに一番近かったのが日本人である。
何かを護るにも「真の強さ」と「正しき心」は絶対的に不可欠なものである。
警護対象者の「正義」と「悪」を知る事が出来なければ護る事はできない。
「正義」と「悪」は相対するものであり、ぶつかり合うのが自然の摂理である。ぶつかり合いは戦いを生むものである。
つまり警護という環境は戦闘であり、戦いに勝つことが出来なければ警護対象者を護る事はできない。
戦いは双方に「意志」が存在する限り続くものであり、勝つには敵の「意志」を消滅させるしかない。
権謀術数をめぐらし、策を弄して敵を偽り欺いたところで、一時しのぎになったとしても敵の意志を消滅させることはできない。
その為に必要なのは「圧倒的な強さ」(実力)である。
戦闘下において通常時の常識など通用しない。
敵に「もしかしたら」などという期待を持っては勝つ事など出来ない。
「武」によって秩序と安定が確立され、はじめて安心・安全というものが花開くのである。
日本人の「武」とは、悪を断ち、正義をもたらし、安心と安全(平和)を生成するものである。
そこには、警護人として必要なものが凝縮されている事は間違いない。
この様な厳しい環境で、知識や技術といった小手先の物だけで役割と責任を全うすることは出来ない。
日本人警護員こそがこれらを体現できる可能性を秘めている。
それは先人が長い年月を懸けて、たくさんの血と命の上に練り上げた世界に誇れる遺産である事を忘れてはならない。そしてこの国そのものも先人が命がけで我々子孫の為に護ってくれたからこそ現存するものである。

JBA Team